当サイトの管理人について

当サイトの管理人「鳶梅」です・・と言いましても、馴染みがないかもしれません。「au-lait」が前のウェブネームでした。「鳶梅」はワタシの雅号とお考え下さいませ。もちろん、旧名「au-lait」でもOK。今後もよろしくお願いします。

日常の生活パターン
昼間はフツーの世界の住人で、仕事を頑張るサラリーマン。
住処にしている家や旅先の宿の部屋などの、プライベートなシチュエーションではジェンダーの区別のない別世界の住人に変わります。

そんな2つの異なる世界の間を行ったり来たり・・
今のような均衡状態で落ち着き、日々の生活を楽しんでいます。

ちなみに、住処は山里の外れにある借家の一軒家。そこから仕事先のある街に向け、超ローカル線の2両編成のディーゼル列車、あるいは1両だけのワンマン運転の列車で30分ばかり揺られて通勤してます。人よりも野生動物の方が圧倒的に多い山里から、地域の中核都市と言っても過言ではない街の仕事先まで、その間で目に入る季節の変化を毎日楽しんでます。
身に着けている服装
仕事のときは、人前に出る場合だと当然スーツ。オフィスでの書類仕事などの作業のときはカジュアルウェア。自由な服装でOKな職場環境です。スーツオンリーだったらストレスが溜まりまくってるでしょうね。

自分の持ち物をよぉく見ると、ジャケットなどのトップスはほぼ細身のデザインで、パンツはスリム系。プライベートで着るモノになると、お出かけのときにはユニセックスデザインのアイテム、お家や旅先のホテルでは女子コーデのアイテムが多いです。



それから、服装ではないのですが、ハイレグレオタードや水着をとっかえひっかえ身に着けて、うっとりして過ごしてます。下着はタイトなモノが大好きです。仕事でもプライベートでも、ハイレグのビキニショーツやTバックショーツ。ときにレディースもののショーツを着けて仕事に出かける・・なんてこともあります。変態って言わないで下さいネ!

身のこなし
身のこなしの方は、自分ではかなり気を使っているつもり・・ですが、周りの人から仕草や雰囲気がオンナっぽいと言われるコトがよくあります。全体的に所作がどことなく小振り、口元に手を当てて笑う、相手と話すとき髪などカラダの一部をいじる・・などなど。

きわめつきは、椅子に腰掛けて何かの作業に熱中しているときなど、脚を腿からピタッと合わせて足首までのラインを斜めにしているそうです。指摘されるまで全く自覚してませんでした。

ちなみに、私が大学生だった時代に一度だけですが、夕方の帰宅途中で後ろから急な要件を尋ねるような感じの声をかけられたので振り返ってみると、知らない男の人(推定40歳代)がズボンから露出させた性器を握って迫って来てました。

真っ先に目に入ったソレは、私みたいな半端もんの小っぽけなモノとくらべると威圧的に大きく、ズボンから突き出ている様子はグロテスクにさえ感じました。アッと絶句して目が合った途端、私が間違ったターゲットであることを悟り、そそくさと立ち去って行きました。

そのときの私の格好は、首筋が隠れるくらいの長めの髪の上にキャップを被り、ピタっとしたデニムにブラウス。カラダは今以上に細かったのですが、後ろ姿で女のコに間違えられるほどではなかったと思いますけどね。よほど興奮していたのでしょうか・・謎です。
今のワタシに目覚めるまでの道のり
子どもの頃・・男の子どうしで遊ぶのはまぁ当然として、女の子とままごとをしたりマンガを見せ合ったりして過ごすコトも多かったですし、夏なんかは庭で一緒に水遊びをすることもありました。どちらかと言うと、女の子と遊ぶ方が好きで、この辺りで今の自分の在り様が芽生えていたのかもしれませんね。小学校の4年生くらいまでこんな状態でした。


思春期前・・小学校の高学年になって男女の性の違いを意識するようになると、男の子集団に入っている時間が圧倒的にふえました。ただ、従兄弟の子と遊ぶときは、男の子の方はやんちゃな乱暴者が多く、それが恐くてほぼ女の子と一緒でした。

この頃、股間と言いますか鼠蹊部あたりを圧迫すると、下腹部全体がボワ〜んとした快感に包まれるようになりました。射精とは違って持続的な快感なのですが、コレって何なのでしょう?同じような感覚があった方はいないでしょうか?(今でもこの感覚が蘇りそうになる瞬間があるのですが、そこに行けそうで行けなくてもどかしく思えます。)


思春期・・中学生になるとカラダの変化が起こり、陰毛が生え始めて射精するなどイヤでも♂であることを自覚させられます。ただ、周りの男の子と違って、筋肉が付くとか腕が太くなるといった体格の変化は顕著ではなく、この当時から細かったです。

中学校2年のときですが、体育の教師から授業中にいきなり手首を掴まれて皆の前に立たされ、私の華奢な体格を嘲られたことがあります。コイツ(K田)は柔道部の顧問でして、体格は樽みたいで頭は角刈りでいかにもって感じでした。他の体育の先生は剣道とかバレーボールや体操から来ていましたが、この件があって柔道系の体育教師はキライになりましたね。

ちなみに、このあたりから高校を卒業するまで、封印の時代だったのかもしれません。部活(もちろん文化系・・というか室内系で女子多し)と高校生活の最後は受験勉強に没頭してました。ハッキリ言って、高校時代はつまらなかったです。


大学生の頃・・大学に入学してサークルに入り、そこで知り合った他所の大学の女の子と初体験を経験しました。その後2回、3回とカラダを重ねるうちに、女の子のカラダの柔らかさや匂い、自身の先端で感じる女の子のカラダの奥の温もりやぬめり、そして一気に絶頂に登り詰めてほとばしる快感などを覚えました。この頃は学業に部活に恋愛まで、全力で青春時代を謳歌してます。

フツーならココで♂モードを全開して女の子を求めるようになるところですが、子どもの頃から思春期を終えるまでのモロモロのコトが絡みあって影響したのでしょうか、ワタシの場合は色々な面で女の子に近づきたいと思うようになりました。


成人してから・・大学卒業後はフツーの仕事人になりましたが、女の子に近づきたいという思いは日に日に強くなりました。とは言っても、ワタシのカラダは♀ではありません。また、♂モードを全開にする気もありませんでした。だったら、どっちでもいいような性の在り方もアリかなと思うようになりました。
トランスジェンダーなの?
カラダの外見は線が細くて女性っぽいのですが、自分では心もカラダもとりあえず♂と自覚してます。周りの人からも、多少は怪しいと感じられているとは思いますが、とりあえず♂として見られています。

トランスジェンダーを厳密に定義すると、このあたりの性差の認識が食い違っている状態がベースにあるそうで、ワタシの場合はトランスジェンダーに当てはまらないと思います。

クロスドレッサーに近いかもしれませんが、常に異性の服装を身にしている訳ではありません。ちなみに、クロスドレッサーはトランスヴェスタイトとも言うようで、広い意味でのトランスジェンダーに含められることもあるそうです。
Xジェンダー
ワタシの立ち位置は、レズビアンとかゲイやバイセクシュアル、トランスジェンダーと言ったカテゴリーでは言い表せないという自覚はありましたので、それなりにモヤモヤとした居心地の悪さを感じてました。とは言っても、深く悩むほどではなく、先のどっちでもいいような在り方でいいんじゃないのと楽な姿勢でした。

あれこれ考えた結果、住所不定ってあるのと同じく、性別不定だと思えるようになりました。まぁ、こんな心境に到達できたのは、一応ちゃんとした仕事に就いて、それなりの地位と給料を手にしていたのが大きいと思います・・カミングアウトはしてないけどね。

そうこうしているうちに、偉い人はキチンと世間に向けて発信するようでして、例えば城間勝さんによる「おねぇカラーズ」とか、なかけんさんによる「性性堂堂」などの活動をネットで知りました。「性性堂堂」は世代的に異質な感じがしますが、言わんとしていることは共感できます。また、「JobRainbow」と言う支援組織の活動も知りました。

Xジェンダーと言う用語もこれらのサイトの情報から知り、自分はこういう状態なのだろうなと自認するコトが出来ました。Xジェンダーというカテゴリーに完璧にマッチするかどうかはわかりませんけど、長いコト感じていたモヤモヤがかなり薄れた気がします。
レオタードとの出会い
以前のサイトの「au-lait@WebDiary」で詳しく書いてますが、私の在り様を決定づけた出来事について、サイトを一新したついでに簡単に記録しておきます。

私の方向を決めた要因の一つになっているのは、スポーツ用品の大規模量販店でサンエオリジンの鮮やかなピンクのハイレグレオタードと出会ったコトです。

その当時、ハイレグレオタードはすでに絶滅危惧種でしたが、運が良ければ量販店のフィットネス用品の売り場の隅っこで売れ残った商品と出会うことが出来ました。そんな日陰な場所で輝いて見えたのがピンクのハイレグレオタードで、隣にあったブルーのレオタードも手にして速攻でレジに直行しました。運命的な出会いというものですね。



実はその頃すでに、自宅などのプライベートな場所ではユニセックスというよりも女性的な服を身に着けて過ごすようになっており、競泳用の水着と練習用のレオタードも1着づつですが持ってまして、たまに身に着けて楽しんでました。

運命的な出会いのあと、仕事の用事で巡った先々でこまめにスポーツ用品店でレオタードを探すようになり、ヤフオクとか通販サイトからも手に入れるようになり、私のレオタードのコレクションが爆発的に増えました。
サイトの由来
性別不定でもいいじゃないかと思えるようになってからは、色々なサイトを見たりしているうちに、世間にはこんな人間もいて日々暮らしているんだよと自分でも主張したくなり、サイトの立ち上げを決心しました。ワタシに決心させたのは、水着偕楽園、Hentai Seiguse、優実の隠れ家、奈緒美の部屋、ゆきんぼの隠し部屋などの、水着系の女装に特化したサイトでした。

また、Super M Ladyとか結衣のフェティッシュ・ギャラリー、Puko's Fitting Roomといった、純粋な女性が主宰するサイトにも感化されまして、だったら性別不定の女装娘がハイレグレオタードや水着を身に着けた画像で構成されたサイトを作ってもいいんじゃないかと思いました・・無謀ですけどね。

サイトの名前ですが、「レオタード」がベースになっているって分かりますよね?これをひっくり返して「ドータオレ」・・ここからが苦肉の策でして、発音が近い外国語を拾い上げて「Daghter-au-lait」となりました。英語と仏語のチャンポンです。

Daughter-au-lait/Second Stageでは・・
サイトの名前を「Daughter-au-lait」と決めた次に、ワタシのウェブネームをどうしようかと考えましたが、ここはあっさりと「au-lait」に決めました。ただ、ひらがなとか漢字と違って多少は打ち込みづらいかなと、ずっと思っておりました。

と言うコトで、このSecond Stageでは「au-lait」から「鳶梅」に改名することにしました。今度もややこしいウェブネームですが、「とびうめ」と読んで下さい。まぁ、「鳶梅」も変換しづらいとは思いますけどね・・

お察しの通り、「鳶梅」は「飛び梅」から来てます。ワタシは大学時代と就職した当初の期間を合わせて10年を福岡市で過ごしましたが、近くの太宰府市にある太宰府天満宮に「飛び梅」とされている梅の木があります。春の曲水の宴など、一年を通して雅な催しがとても印象的で、太宰府天満宮と四王寺山を含めた周辺地域はワタシにとって癒しの場所の一つでした。ちなみに、能古島と志賀島もボ〜ッと海を眺める格好の癒しの場所でした。

「飛び」を「鳶」に置き換えたのは、差し色として鳶色が好きなのと、とある鳶職の女性にあこがれていること、そして海べりで狩をする鳶を子どものころに飽きもせず眺めていたことに因んでます。
少しだけ近況報告(2020年)
周りに気づかれないよう少しですが、連休に合わせて有給休暇を取って10日間のお休みをいただき、意を決してカラダをいじりました。と言いましても、アノ切除術とかアレの形成術を受けるほどの勇気はなく、部分的にですけどね。施術前の数度のカウンセリングでも、そういった類の施術は推奨されませんでした。

まずはウェスト周りの脂肪を吸引で減らしました。その一部から使える脂肪細胞を選抜してお尻の後ろに移植してヒップラインを持ち上げ、見た目のくびれを強調するように変えました。

服を着ている状態では、トレーニングかなんかでウェストを絞っているようにしか見えません。減らした脂肪を胸の方に移植という提案も考えたのですが、そこまで決心がつきませんでした。
少しだけ近況報告(2021年)
体重が減っており50 kgを下回ったあたりをキープしてます。そして2回目のウェスト周りの脂肪吸引の施術を受けました。今回は脂肪細胞のお尻部分への移植はなし。前回の分がキッチリと定着しているとのことで、この状態でさらに移植するとバランスが崩れて不自然になるとの判断でした。服を脱いで胸を隠しているときのボディーラインがヤバいです。

さらなるボディー改造を念頭に、ホルモン注射を始めるかどうか迷ってます。かと言って豊胸術とか切除術を受ける考えは今のところなく、まずは肌がキレイになればいいかなと思ってます。考えが変わるかもしれませんが、定期的なカウンセリングを経たあとで判断します。
少しだけ近況報告(2022年)
体重は相変わらず50 kgを下回ったあたりをキープしてます。秋の連休の時期に有給休暇を取って3回目のウェスト周りの脂肪吸引の施術を受けました。そして脂肪細胞のお尻周りへの移植を受けました。以前に移植した細胞が多少脱落しているとのことで、私も気にはなってましたのでちょうどよかったです。いい感じのボディーラインになったかなと満足してます。

さて、かねてより定期的にカウンセリングを受けて来てましたが、今まで以上に身体に変更を加えることは当分は見送ることにしました。ただし、今のボディーラインを維持することは続けます。

ちなみに、性別適合手術のことについて相当突っ込んだ話を聞く事ができ、施術前の準備に始まり術後のケアまでの詳細を知ることが出来たのがよかったです。来年からは年に1回のカウンセリングに減らします。
(※)カラダの大改造は、施術の前後だけでなくその後も苦難が続く茨の道です。

性別の不一致を強く自覚していることは変わりませんが、今の性別を嫌悪するとか反対の性別として行動しようと強く考えることはなく、このページの上の方で述べた通り私はどっちでもいいというか、どっちでもないと考えておりまして、他人からどう見られようと別に気になることはありません。プライベートとパブリックをはっきりと分け、自分のなりたいように生きていくだけです。

以上のような経緯も背景にあり、職場研修の場とかで色々と自分の考えを述べるようになりまして、ある意味で自身の性自認をカミングアウトしたような状態になってます。そのおかげか、ダイバーシティー推進のためのプロジェクトチームの立ち上げメンバーに加えられ、今までの施設管理責任者の仕事と兼任するようになってます。

また、就活の学生のなかにトランスジェンダーの子とかADHDの子などがエントリーしてくるケースが増え、その対応に駆り出されたり人事の担当者にアドバイスすることも多くなりまして、カウンセラー的な役割を担うための知識や技能を習得するべく不定期ですが研修を受けてます。この状態がいいのか悪いのか分かりませんが、自分の本来の業務に充てる時間が減っていることには多少のストレスを感じてます。